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  現代新書カフェ
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□            
□        講談社 現代新書カフェ〜091〜         
□            2011年5月10日           
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  ‖《1》今月の刊行予定
  ‖《2》◆連載企画◆ 
  ‖   (1)「貨幣と市場――ケインズとハイエクが追求した不安」
  ‖     第10回 通貨機構論における対立――「国家的自給」と
  ‖                『貨幣発行自由化論』をめぐって(承前)
  ‖                                松原隆一郎
  ‖    (2) 「本気で考える池田屋事件」 45回
  ‖                                 中村武生
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 現代新書カフェにようこそ。
 連休中も、被災地にかんするニュースに加え、浜岡原発の停止要請、ビン
ラディンの殺害などいろいろなことがありました。
 9・11と3・11、後世の人は、21世紀初頭をどのように描くのでしょうか。

 今回のメルマガは、内容充実の連載2本です。


****************************************************** 
◆《1》今月の刊行予定◆ 
****************************************************** 
 現代新書5月刊行予定4点のラインナップをお伝えします。詳しい内容の紹
介、定価などは5月18日号をご覧ください。

 ◇橋爪大三郎+大澤真幸著『ふしぎなキリスト教』
 ◇大野 裕著『はじめての認知療法』
 ◇渡邊大門著『戦国誕生――中世日本が終焉するとき』
 ◇管啓次郎+小池桂一著『野生哲学――アメリカ・インディアンに学ぶ』

****************************************************** 
◆《2》連載企画◆ 
****************************************************** 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
◆                                       ◆
◆ 1)『貨幣と市場                           ◆
◆      ――ケインズとハイエクが追求した「不安」』      ◆
◆  第10回 通貨機構論における対立――「国家的自給」と   ◆
◆         『貨幣発行自由化論』をめぐって(承前)     ◆
◆                            松原隆一郎  ◆
◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  

◇ハイエクの「貨幣発行自由化論」1976続◇

 ハイエクは貨幣的景気循環論の要諦を、過剰な貨幣供給が誤った生産構造を
もたらし、その結果として貨幣供給がとだえたときに現実の要望に応じた生産
構造への激烈な変更が行われるものとしていた。そのこと自体は、1930年代に
なって貯蓄と投資の均衡・不均衡という議論の仕方から企業家による「資本の
維持」へと発想を変えても、一貫していた。そこで問題になるのが、ハイエク
にとって「過剰ではない」すなわち「適正な」貨幣量とはどのようなものであ
り、どう供給されるかだった。
 ハイエク自身もこれについてはながらく歯切れが悪く、1960年の時点でも、
政府から金融政策についての統制力を奪うことがかりに可能であったとして
も、それは実際的でないばかりか望ましくもない、と主張している(『自由の
条件』、注1)。各国にはただ一種の均質な貨幣が存在すべきだという通念に
従っていたからである。だがその通念を疑うという思考実験を実施してみると、
意外な結論が導かれた。そこで1976年になって提起したのが、民間銀行に貨幣
発行の権限を認めるという提案であった。
 ハイエクの観察によればインフレーションは市場経済の趨勢となっている
が、たとえマイルドなものであっても最終的には恐慌という破局を招く(注2)。
つまり循環的な不況・失業は金融緩和をともなう歯止めなき政府支出がもたら
すインフレの結果である。これは政府が貨幣発行権を独占しているがゆえに生
じたのだと思われる。そこでハイエクは、貨幣価値の下落を防止すべく競争通
貨 competing currenciesを提案する。

   ヨーロッパの中立諸国をできるかぎり含め(そして後にはおそらく北ア
  メリカの諸国を含めて)構成される共同市場の加盟国は、それぞれの全領
  域において、取引がおたがいのどの通貨ででも(金貨を含めて)自由に行
  われることについて、またそれぞれの領域内で合法的に設立されたどの機
  関によっても、銀行業務が同様に自由に行われることについて、どのよう
  な障害をも設けないことをお互いに正式の条約によって義務付ける(注3)。

 この提案が意味するのは、次のようなことだろう。政府発行の単一通貨の排
他的使用は廃止され、各民間銀行は自由に通貨を発行することができる。契約
や経理、購買や支払いにどの通貨を用いるかはまったく自由であり、特定の地
域でいくつかの競合通貨が使用されることになる。それらの「発券銀行issue 
banks」は、通貨の単位と名称を決めるとともに、その通貨価値が安定している
ことを知る目安となる「商品バスケット(等価物)」を指定し、その通貨によ
ってそのバスケットがどれだけ購入可能であるのかの指数を時々刻々公表す
る。ハイエクは「業界紙によって」としているが、現在であればもちろんイン
ターネットによって広く公開されるというべきだろう。発券銀行は、この商品
基準の構成を変更することができる(注4)。発券銀行は発行する貨幣がより
多く利用されることを競うのだが、公衆は貨幣価値が安定していること、つま
り購買力が一定に維持されているという信用を目安に貨幣を使用するだろう。
 こうした通貨発券制度はいわゆる「商品準備通貨制度」に似ているが、それ
には準備通貨とされる商品を貯蔵しなければならないという欠点があるとされ
ていた。実際に通貨と商品が交換されるとなると、準備されるべき商品の種類
が少なくなければ貯蔵は実行が事実上不可能になる。だがもし準備されるべき
商品の貯蔵が可能であるならば、「商品準備通貨制度」は金本位制度よりも通
貨制度としては有効とみなされてきた。というのも、多数の国が金本位制を設
立しようとしても、地球上の金の存在量には限りがあり、まして国際金本位制
となればごく少数の国が金を保持し、他国は「金為替本位制」を採用するしか
なくなるからだ。金為替本位制とは、金本位制を実施できない国が、採用して
いる他国の通貨と自国通貨との交換性を保証しているとき、為替を通じて間接
的に自国通貨と金との兌換が行われているとみなすことを言う。第一次世界大
戦当時から現実に金はイギリスからアメリカに移動しアメリカが多くを保蔵す
るようになって、他国はドルを貿易の通貨として用いていた。これが金為替本
位制である。金も歯に用いられるように機能を有する商品の一種だが、「商品
準備通貨制度」はさらに存在量に制約のない商品を通貨に当てることで、無理
をしてまで多くの国が金保有国にしがみつかずにすませる工夫であった。さら
に貯蔵の不便というその欠陥を取り除こうというのが、ハイエク案の趣旨であ
る。
 ハイエク案では、「商品バスケット」は当該通貨で何単位購入できるのか、
つまりバスケットの総価格が公表されるだけであり、発券銀行が商品を準備し
ておく必要はない。各銀行は、さらに債権・債務の保有額も公開する。つまり
現在、中央銀行が行っているのと同様に資産の健全性につき情報を公開する。
通貨は、短期の貸付けもしくは他の通貨との引き替えという形で市場に出回る
ようになる。ではどのようにして発券量に規律が課せられるかといえば、発券
銀行は通貨を需要されるように行動するだろう、とする。通貨への需要はその
購買力が安定していればいるほど高まるのだとすれば、発券銀行は基準となる
商品バスケットの当該通貨での価格を睨み、たとえば「1002」であれば発券量
の引き締め、「997」であれば貸付緩和というように、乖離の許容値をあらかじ
め決めた上でそれから外れると自動的に発券もしくは回収を行うだろう、とい
うのである。
 貨幣の機能としては、教科書通りに四つが想定されている。第一に現金での
財の購入、第二に将来への準備、第三に繰り延べ支払いのための契約、第四は
帳簿記入と計算の単位である。ここでハイエクは、第三の繰り延べ支払い機能
にかんし、貸し手は貸している間に価値が上がる貨幣を好むと仮定する。返っ
てきたときにより多くの商品を購入しうるからである。借り手は逆に価値が下
がる貨幣を選ぶとみなす。双方の要望により、貨幣価値は安定することが望ま
れる。貨幣moneyは流通する機能によって通貨currencyと呼ばれる。
 この提案に欠点があるとすれば、複数の通貨が並行して流通するとき、商品
価格が複数になり煩雑になるというものがある。たとえば商店主は、通貨ごと
に色を変えて商品に値札を付ける必要がある。ハイエクは、いずれそれもさほ
ど煩雑には感じなくなるのではないか、という。彼の実感は、かつて住んでい
たオーストリア国境の町で、オーストリア・シリングとドイツ・マルクが並行
して使われていたことにもとづいている。1990年頃、ソ連の威信が揺らいでい
たモスクワでは、公設市場で買える商品がほとんどなくなったためルーブルは
好んでは受け取られなくなり、ドルによって決済が行われるようになった。ド
ルが稀少であったためそれに代わるものとして煙草の「マルボロ」すら流通し
ていたが、これも通貨が並存した歴史的な事例といえるだろう。ルーブルとド
ル、マルボロでは、受領性・流動性の点に大きな相違がある。買える商品が異
なるからである。同様に1990年代初頭まで中国では外国人向けの元(外貨元)
と中国人向けの元(人民元)が併用されていた(現在は外貨元が廃止)。外貨
元で日本のニコンのカメラのような輸入品が買えたのに対し、人民元では野菜
のような国内産の生活必需品しか買えなかった。
 ではどのような商品の価格水準を一定にすることが望まれるかといえば、企
業にとっては経理上、原材料・農産物・工業半製品のように各社が取引する生
産物の価格が安定することが求められ、サラリーマンは消費財価格の安定を求
めるだろう。ハイエクは貨幣量が変化したとしても財価格が変化するまでのタ
イムラグが長い消費財ではなく、原材料価格を基準とする通貨の方が望ましい
「安定通貨」だとみなしている。相対価格の変化が生産構造の変化をすみやか
に引き出すというハイエクにとっての理想的市場に適した通貨とは、原材料を
中心として商品バスケットの価格安定を目指すということである。
 というのもハイエクにとって市場の働きのうちで最重要なのが、個人が知る
ことはできないが、その人が何ごとかを計画しようとするときに適応しなけれ
ばならない情報を、相対価格という形で早く伝達する点にあるからだ。貨幣の
一時的な流入によって見かけだけの需要変化が生じると、需要が維持されえな
い方向に生産力が向けられ、消費財の生産から投資財の生産へと資源の誤配分
が起きてしまうのである。
 通貨の発券量が発券銀行の思い通りにはならないことに注意しなければなら
ない、とハイエクは言う。たとえ発券したとしても、公衆が保有し使用しなけ
れば流通しないからだ。発券量の軽率な増加は、企業が商品を作りすぎても在
庫の山を築くだけに終わるのと同様、環流の停滞の原因となる。そこで発券銀
行は、発券量の調整に細心の注意を払うことになる。
 もっともそうだとすれば、原材料を商品バスケットの軸とする貨幣が好まれ
るとは限らないことになる。その問題に対しハイエクは、資産のかなりの部分
を流動性の高い形態で保有したいと人々が考える可能性があると想定してい
る。オーストリー学派にはA.メンガー以来「商品の販売可能性」なる概念が
あるのだから当然ではあるが、貨幣にも「保有したい」「したくない」という
区別が持たれる、というのだ。とすれば、消費財に関心を持つサラリーマンと
しても、他の人が受け取ってはくれない貨幣を保有するのは危険ということに
なる。多くの人に保有されるのが望ましい貨幣なのである。
 だがここで、さらに次の問題が生じる。ケインズが示唆した通り、極端なケ
ースとしては「流動性の罠」が発生しうるのである。ケインジアンは「流動性
の罠」につき、資産選択において投機家が資産価格の下落を予想したとして、
その資産を貨幣に交換しようとする行動という形で説明している。しかしここ
でハイエクが述べているのは、そしてケインズ自身も「流動性 liquidity」とい
う概念によって論じたのは、貨幣の無限の流動性を尺度として資産ごとに流動
性の差があるというだけではなく、貨幣にも受け取られる度合いが異なる、流
動性の差があるということである。財、資産、通貨のすべてにかんし、流動性
には差があるのだ。商品の購買力を反映するその差に公衆が敏感であることに
より、競合して流通する通貨は選択されるのである。通貨が「選択」された例
としては、国際貿易の一般的単位としてのポンドが、ヨーロッパにおいてすら
ドルに取って代わられたことがある。
 「購買力」を持ち出した段階で、ハイエクの貨幣観はケインズのそれに急接近
している。これは、財であれ貨幣であれ、交換比率さえ下げれば必ず受け取っ
てもらえるとみなす新古典派の貨幣観とはもっとも異なる点である。貨幣は発
行すれば必ず公衆に受け取られ、商品の購入に使用されるとするならば、貨幣
発行はインフレに即座につながる。貨幣数量説やインフレ・ターゲット論はそ
のようにみなしているが、公衆が貨幣を受領しても使わなかったならば物価は
上がらない。それは商品に流動性が失われたときに貨幣の流動性が尊ばれるか
らだが、貨幣についても購買力が安定しなければ流動性が下がりうるために、
通貨に「競争」が起きるのである。
 さて、複数通貨が並存することはさほど煩雑ではなくなると述べたが、ハイ
エクによれば通貨の選択と淘汰が進み、少数の銀行だけが発券するようになる
からである。当初はとりあえず多くの銀行が発券市場に参入するかもしれない
が、公衆の取捨選択が進めばその一部だけが生き残る。ここで大半の銀行は、
発券銀行(他行)の通貨を用いて業務を行うことになる。ハイエクはそうした
一般銀行に対し、「100%準備銀行業」であることを義務づけるべきだという。
というのも、管理通貨制度には、中央銀行が独占的に発券するだけでなく、民
間銀行が信用創造するという面があるからだ。通貨の定義としても、M1は狭
義のマネーサプライすなわち現金通貨と預金通貨に要求払預金を合計したもの
とされ、M2にしても広義のマネーサプライすなわちM1に貯蓄預金(普通預金、
定期預金の両方を含む)を加えたものとされている。預金は通貨とみなされてい
るのである。それゆえ現在では、民間銀行もまた実質的には発券しており、し
かも預金準備率は100%ではないために信用創造が行われている。要するにそ
れは、事実上は通貨を創造していながら発券量の制限に責任を負わない銀行が
存在するということである。ハイエクはこうした現状を「一部準備銀行制度」
と呼び、その廃止も主張する。
 複数通貨が並行して流通し購買力の安定を競い合う世界は、我々が常識とす
るものとは相当に異なっている。そこでは優勢な通貨の購買力は安定するが、
しかしそのことと、通貨供給量を管理して「平均価格」ないし「一般物価水準」
を安定させることとは別の事態である。というのも通貨供給量や一般物価水準
なる概念に意味があるのは、単一通貨圏でしかないからだ。複数通貨圏におい
ては単位の異なる通貨は交換比率により換算してからでなければ合算できず
(5ドルと100円を足して「105」という計算には意味がない)、交換比率
がたえず変動することに注目しなければならないのである。相対価格を一般
物価にまとめること、そして法的に単一通貨のみを指定することは、それぞれ
統計学と設計主義法学の乱用だとハイエクはみなす。それに対し多種多様な商
品と通貨が織りなす複雑なシステムを管理思想ぬきで競争に任せて運用しよう
とするのがハイエクの理想市場である。
 ここでは、最終的に中央銀行は廃止されている。発券銀行のうちのいずれか
が優位に立つことはあっても、中央銀行が最上位に信用されることはなく、そ
れはいずれ廃止されることになるだろう、とハイエクはいう。民主主義政治の
もとでは中央銀行は民間銀行のように自由意志で発券量を管理することができ
ず、とくに財政支出を要望する選挙民の利害関心に導かれて、購買力を安定さ
せることができないからである。
 さらに金融政策も不要となる。とくに利子率は、現在財と将来財との交換比
率・相対価格でもあるから、これも値付けは市場に任せるべきとなる。財政支
出についても、もちろん追加貨幣の創造がなされるようにしてはならない。政
府が支出する貨幣は、税か公債発行で民間から徴収したものに限られ、それに
よって貨幣発行量に規律が課せられる。その結果、財政収支は季節ごとに均衡
させられることになるだろう。「季節ごと」というのには慣行的な意味しかな
いが、企業は収支を季節で均衡させるのであるから、政府も従うべきだという
のである。
  もっとも奇妙なのは、国際収支なる概念そのものがなくなってしまうために、
国際収支問題はまるごと消えてしまうという主張である。単一通貨制のもとで
国際収支に各国通貨の交換比率(為替レート)が結びつけられると、特定の商
品が莫大に売れたとき(たとえば日本の自動車が大量に輸出されたとき)、自
国通貨高(円高)になり、売れなかった商品の価格(たとえば労働)も外国の
同類商品に比して割高になる。これは、国際収支を均衡させるために、直接に
影響を受けた少数の商品の価格を引き上げるだけでなく、それ以外の商品の価
格も上昇させる策が取られているということである。だが、トヨタの自動車が
売れたからといって日本人労働者の賃金がインド人労働者の賃金よりも高くな
るのでは、日本とインドで労働の相対価格が示されていないことになる。そう
したことが起きるのは、国ごとに異なる単一通貨が用いられているからである。
 もっともハイエクは、ながらく固定相場制度を支持し、自由主義者としては
例外的に変動相場制度を批判してきた。それは一般に固定相場制を支持する議
論にあるように貿易にかかわる財の価格を安定させるといったことではなく、
金本位制を含め固定相場制は為替レートを維持するために貨幣発行が行われ
る、すなわち貨幣量に規律づけをする通貨制度だからで、変動相場制となると
その箍(たが)が完全にはずれてしまうのである。とすればハイエクが推奨す
る競争通貨制度とは、単一通貨相互の変動相場制に替え、競争通貨間の交換比
率変動制を意味していることになる。「だれも国や地域の国際収支がどうであ
ったかを知ることができず、したがって、だれもこのことについて悩むはずが
なくまた心配する必要がないという統計に関係のない幸福な時代に、われわれ
が戻ることができる」(注5)とハイエクは言う。
 競争通貨制度はそれぞれの通貨の購買力を競争によって安定させる策だが、
それは貨幣なるものの機能を、競争が強いる進化の過程で発展させるという考
え方でもある。競争は、新しい機能を生み落とす。貨幣に止まらず言語も法も、
社会制度は一般に競争を通じて進化してきたというのがハイエクの理解であ
る。国家が通貨発行を独占するとは、進化という「発見のプロセス」を停止さ
せることなのである。
 このように競争通貨制度を規定することは、ハイエクにとって国家による通
貨発行の独占を批判することと表裏一体の関係にある。たとえばM.フリード
マンは、「独占的に発券される通貨量の増加率を一定(k%)に固定すること」
を唱えている。公衆のインフレ期待が安定することを狙ってのものだが、マネ
タリズムはインフレの債権者・債務者への有害な影響に注意を向けるわりには、
貨幣量の変化が相対価格にいかに影響するのかを看過している。貨幣増加率が
一定としてもそれは全価格に同時に影響するのではないから、相対価格が変化
する可能性がある。まして複数通貨が競合する場合には、その可能性は高まる。
貨幣数量説は、複数通貨制においてはごく大ざっぱな接近方法にすぎないので
ある。フリードマンは貨幣量を裁量的に操作しようとするケインジアンを批判
するが、貨幣増加率を固定したとしても相対価格が変動してしまう可能性は排
除されないのである。この点で、ハイエクはマネタリズムと一線を引いている。
 『貨幣発行自由化論』によりハイエクの貨幣的景気循環論はようやく完成した
と言えるし、ケインズの管理通貨制度に最終的な裁断を下したとも言える。だ
が本書により市場経済論が完結したといっても、彼が凡百の経済的自由主義者
のようには純粋な市場経済の自律性を仮定するわけではなく、むしろ市場はル
ールや慣行・制度の支えを必要とするという方向で思索を深めていった点は重
要である。本書は後期の大作『法と立法と自由』(1973-79)の最終巻(第三巻)
の執筆を中断し数週間で書き上げたとのことだが、こうして完成させられた貨
幣的景気循環論は、市場経済を理性による統制によってではなく、ルールや慣
行・制度からなる「システム」とその「進化」によってとらえるという後期の
解釈に接続されることとなったのである。
 その点をとくに注記しておきたいのは、自由主義者の中でももっともアナー
キーに見える「貨幣発行自由化」を唱えるハイエクその人が、変動相場制やル
ールや慣行・制度の撤廃といった自由主義者にありがちな主張に組みしなかっ
たからである。これはハイエクの貨幣発行自由化論が、貨幣発行をいかに「規
律」づけるかという視点から書かれたことによっている。「規律づけ」を国内
における単一貨幣の総量規制のこととみなすのがフリードマンのマネタリズム
であったし、フリードマンは新自由主義者としてルールや慣行・制度を撤廃し
て万事を市場の自動調整機構に委ねるよう訴えていた。
 これに対しハイエクが本書で語るのは、そのように貨幣を一国家に一種と限
ることこそが政治権力の独占であり、貨幣量を人為的に総量規制しうると考え
るのは統計利用にかんする過信だということである。そして貨幣発行の独占権
を国家から剥奪し競争に委ねることにより、通貨発行もルール(法)も慣行も
制度も、それぞれが相互に依存し合いつつ競争的に淘汰され進化してゆく。こ
うしてハイエクの市場論は、経済学に領域を限った貨幣的景気循環論から、「行
為ルールシステム」の一部としての「カタラクシー catallaxy」へと形を変える
こととなったのである。

◇通貨制度から見るハイエクとケインズ◇
 ハイエクとケインズは1920年頃から書評論争を経て1930年代一杯まで、彼
らの人生からすれば例外的に理論経済学を集中的に論じた。本稿では、そうし
た経済学の検討が極限に到達したことにより、彼らが経済学の外部を展望する
社会思想を描くようになったのだと理解している。それゆえここまで二人の市
場論をいささか詳しく扱ってきたのだが、それぞれが国際通貨を論じることで
市場論に一区切りをつけたこの段階で、彼らの市場論を対比しておこう。
 まず共通点からいえば、新古典派経済学が実物部門の需要と供給が価格によ
って調整されるというとき、貨幣の働きを軽視することに異議を唱えている。
彼らはともに、貨幣が市場から漏出したり注入されたりすることで、実物部門
は価格メカニズムによっては自動調整されなくなるとみなす。その意味で彼ら
の経済学は実物的ではなく、「貨幣的景気循環論」なのである。
 またケインズは確率分布どころか何が起きるかも分からないという意味での
「不確実性」に企業家が直面するとしたが、ハイエクもまた不確実性に満ちた
世界では資本設備の新規形成は貯蓄から生じるのではなく、企業家が資本利得
を資本還元することに依存するものと見るようになった。
 理論としては、両者はヴィクセルを出発点では好意的に受け入れたが、その
後二人は見解を異にするようになる。第一は、市場が不調に陥る原因をどう見
るかである。ケインズは金融資産市場が整備されるに従い素人の投資家も大挙
して参入してきたことを重視する。彼らは楽観が昂進すると貨幣を手放し資産
を購入するし、逆に悲観が拡がると貨幣に固執して資産を購入しなくなるとみ
た。また彼は、そうした傾向が企業家の投資や家計の消費にも見られると考え
る。そうした考えは不完全ながら投資関数や消費関数に込められたともいえる
が、『雇用・利子および貨幣の一般理論』第17章での財についての「流動性プ
レミアム」という概念にも表れている。ともあれ何が起きるのか確率分布も定
かでない将来に向け、悲観が蔓延すると貨幣保有欲が強まり、消費財も投資財
も資産も売れなくなり、不況が深刻化するとみなした(流動性の罠)。逆に貨
幣を消尽しようとするのがバブルである。
 一方ハイエクは、市場において取引に用いられる通貨が量として一定に維持
される限りで実物部門は相対価格によって調整されるという。しかし通貨が財
政金融政策によって市場に注入されるならば、価格が一律には上がらず相対価
格が適正ではなくなり、誤投資や生産構造の歪みを生じるとみる。ところが通
貨の注入はいつまでも続くことはないために、財政金融政策が停止されると一
気にあるべき生産構造に収縮する。これが恐慌である。つまり両者では、通貨
が市場に注入されたり漏出したりする理由が違っている。ケインズは不安や過
信、悲観や楽観という不安定な社会心理が、実物経済を循環する貨幣が膨張し
たり収縮したりする原因とする。ハイエクはそうした貨幣の経済への流出入は
裁量的な政策によって行われるという。
 第二に、市場はどのようにして把握され描写されるのか。ケインズは『貨幣
論』(1930)では「唯一の均衡」という考え方に縛られていたが、P.スラッ
ファの指摘を受けてからは労働市場が不均衡のまま停滞するという「多数均衡」
へと発想を移した。そして総供給や総需要といった関数につき、計量的に特定
できることはないとしながらも、たとえば労働は同質だとすることで変数の数
を減らし、定式化への道を拓こうとした。
 これに対しハイエクは、当初こそ均衡から不均衡を経て均衡へ戻るという経
路を問題にしていたが、後に均衡ではなく秩序、需給関係からなる単純な市場
から「複雑な」システムへと市場に対する見方を変えた。ここで彼が「複雑さ」
に到達したのは、資本財にせよ労働にせよ、異質なままで市場で取引されてい
るからである。市場は異質なものを異質なままで取引し、付随して時と所を特
定する「断片的な知識」が伝達されるというように、複雑さの処理にこそ長け
た制度だというのである。ハイエクは、ケインズ以上に経済学の計量化を、害
多く利益の薄い作業とみなしている。
 第三に、それでは不況や恐慌に対しどのような対策が立てられるのか。いわ
ゆるケインジアンは公共投資の乗数効果により景気回復を図ろうとしたのがケ
インズの主張だとみなした。けれども乗数効果は、GDPの規模からすれば微々
たるものである。むしろケインズの本意は、公共投資や金融政策を通じて不安
や過信、悲観や楽観といった心理の揺れを安定化させるような働きを経済政策
に求めたのではないか。
 一方ハイエクは、『法と立法と自由』では市場を「カタラクシーのゲーム」
と呼ぶようになり、財産と不法行為と契約についての法的ルールの範囲内で行
為することを通じ、「自生的秩序」が生まれるのだとした。市場競争は運・能
力に依存するゲームであり、結果を正当とか不当とかいうことには意味がない
という。ここで自生的秩序は、慣習にもとづく裁判を通じて進化する法体系に
基礎づけられている。市場の安定は人為的な政策によってもたらされるのでは
なく、競争を通じて選び出される通貨や法など、非人為的なシステムに依存す
るしかないというのである。将来についてゲームのプレーヤーは、一部の人は
期待が成就するが他の人は期待はずれになる。それでもケインズの投機市場の
ようには、不安や過信の心理が伝染するようにして蔓延したりはしないとみな
すのである。
 不況対策につき、ハイエクは政策が実物部門で人為的に与えた歪みを市場が
修正するに任せるしかないとみなしているようだ。けれども市場は、大恐慌が
引き起こしたような「流動性の罠」に当たる社会心理上の一時的な偏りまでは
修正できない。大恐慌後に経済不振が長引いたのに比べ、リーマンショック後
は先進国が協調して金融緩和を伴う財政支出の拡張を行ったためにさほど深刻
化しなかったのは、一致団結した対応がなされるという期待が社会心理に好影
響を与えたからだろう。恐慌が起きる理由がハイエク的であったにせよ、それ
が市場だけで自生的秩序を回復できるかについては、危機的状況に限りケイン
ズ的対策が必要になるものと思われる。ただし、ハイエクが述べたのが恐慌と
いえるほどの落ち込みでない場合に「ケインズ政策」が乱発されることが逆に
経済不振を深刻化させるという主張であるならば、納得できる。ケインズ的な
処方箋は、モルヒネのごとく決定的な局面でしか使用すべきではない劇薬なの
である。
 また、ハイエクは『貨幣発行自由化論』で国際的な資本移動に対する規制を
国家が行うことを批判しているが、財政金融政策を発動する際には国際的な資
本移動を制限すべきというケインズの「国家的自給」の主張も、同様に経済不
振が景気循環の一齣にすぎないのか、それをも逸脱するような落ち込みである
のかによって評価が分かれるだろう。
 以上のような二人の市場観は、経済学を越えるような社会思想分野において
はどのような展開を見せるのか。次回以降、追っていこう。(つづく)

注
1.Friedrich August von Hayek,The Constitution of Liberty,1960(気賀健三・
  古賀勝次郎訳『自由の条件』1〜3、春秋社、新版ハイエク全集;第1期第5
   〜7巻、2007)
2.ハイエクからすればケインズ主義とは財政支出によりインフレを人為的に
   起こす策だが、現代の「インフレ・ターゲット論」となると、よりあから
   さまにインフレを起こそうとする政策だといえる。
3.第1章、邦訳『貨幣発行自由化論』、川口慎二訳、東洋経済新報社、1988、
   p.1
4. ハイエクの想定では、貨幣発行自由化制度が発足してからしばらくすれば、
   商品バスケットの変更は頻繁ではなくなる。
5.18章、邦訳p.147

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|松原隆一郎(まつばら りゅういちろう)              
|1956年生まれ。神戸市出身。東京大学工学部都市工学科卒業。東京大学大
|学院経済学研究科博士課程修了。現在、東京大学大学院総合文化研究科教
|授。専攻は社会経済学・相関社会科学。社会科学と俗世に関する該博な知
|識を駆使して論壇でも活躍、アカデミズムとの相互乗り入れを図る。  
|著書に『失われた景観』(PHP新書)、『消費資本主義のゆくえ』『経済
|学の名著30』(以上、ちくま新書)、『分断される経済』『長期不況論』
|(以上、NHKブックス)、『武道を生きる』(NTT出版)、共著に『<新しい
|市場社会>の構想』(新世社)などがある。                                  
└─────────────────────────────────┘



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆ 
◆ 2)『本気で考える池田屋事件』第45回        ◆ 
◆                        中村武生◆ 
◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  

 池田屋襲撃の6月5日夜以後、新選組をふくむ一・会・桑に洛中洛外で逮捕
された者が少なくない。これは事件後、畿内の浪士弾圧の法令がつぎつぎと出
されたためである。たとえば6月8日、大坂城下町および付近の郷村を厳戒し、
帯刀者の無断宿泊を禁じている。同月10日には、京都の長州屋敷に対して留
守居役と添役のほかは「他藩士」が滞在することを禁じ、翌11日には京都所
司代が、諸大名家に古高俊太郎の「余党」の逮捕を命じた。

 その逮捕者については、たとえば以前に紹介した、所司代がまとめたと思わ
れる「召捕之浪人姓名調写」(『官武通紀』、255ページ、など)、およびこれに
六角牢屋敷が加筆したと思われる「元治元子年六月中入牢人、但し三条池田屋
騒動以後」(『同方会誌』43号所収、1916年、34ページ)によって、6月5日以
後少なくとも6月20日までに三十六人あったことが知れる。

 「元治元子年六月中入牢人」は、誤字が散見されるなどテキストに少々難点が
あるが、木村甚五郎・桝屋喜右衛門(古高俊太郎)・池田屋惣兵衛などの記載
が他の信用できる史料と一致するため、使えるものと判断した(既述)。

 6月5日夜に逮捕された十六名は「召捕之浪人姓名調写」によりすでに第39
回で列記した。それ以後の逮捕者を記してみよう。「元治元子年六月中入牢人」
に列記された三十六人から、その十六名をのぞいた者(二十名)が以下である。
 
姓名             年齢          その他の記載事項

木村甚五郎      28 長州屋敷取締所手代  六月八日長州家来え御預け
越二          30 土岐山城守藩又は郷士安藤と申立候、
                佐州東村百姓与惣太事
兼次郎         21 六条平岡町炭屋為次郎借家弥助忰
                                  六月七日会津より引渡
又七          25 寺町通五条上ル町 伊勢屋庄七忰 六月七日右同断
念道          70 霊山正徳(ママ)寺住持秀山弟子
                六月十日所司代より引渡、同日会津侯より引渡同所留
光山          22 同塔頭永寿院久(ママ)阿弥と申僧     右同断入牢
宮津屋三郎右衛門  46 但州豊岡町下モ町        新撰組より引渡
喜三郎          20 三条白川橋西へ入古川町、松下治助忰    右同断
近江屋とき       27 祇園新地清本町                      右同断
吉兵衛          32 富小路松原上ル町松下清七下人        右同断
近江屋卯兵衛      43 祇園新地清本町                      右同断
勇助           不明 長州蔵屋敷門下番       同日所司代より引渡
桝屋喜右衛門     36 四条小橋西へ入真町、宿屋業、 
                                六月十日新撰組より引渡
池田屋惣兵衛     56 三条小橋西へ入、宿屋業、  六月六日呼出し入牢
                                     此二軒は浪士の止宿したる家
豊後屋友七      48 三条大橋東へ入町、                    右同断
久蔵           21 同人忰                              右同断
丹羽出雲守      31 元三条家来、         六月廿日伏見にて召捕
川勝寛治        35  (同)              (同)
河内(ママ)能登守  45  (同)                  (同)
吉川兼(ママ)治   39  (同)                (同)
 
 はたしてこの二十名は、池田屋参集者といえるだろうか。
 残念ながらほとんどそうではないと思われる。池田屋惣兵衛は池田屋亭主な
のではぶくが、桝屋喜右衛門(古高俊太郎)はいうまでもなく池田屋集会以前
に逮捕されている。木村甚五郎も乃美織江の手記に拠って、久坂義助(玄瑞)
との誤認逮捕とわかっている。丹羽出雲守(正雄)や川勝寛治、河村能登守(季
興)、吉川菊治も三条実美や三条西季知(すえとも)ら五卿の家士で、その指
示でたまたま城南伏見に滞在していたところを逮捕されたことも周知である 
(『七卿西竄始末始末』4<野史台維新史料叢書20>、144ページ)。

 ほかの逮捕者では、たとえば念道・光山という洛東霊山正法寺の二人の僧が
注目される。正法寺といえば、想起されるのがその境内にいとなまれた神道施
設霊明舎(現霊明神社)である。文久2年(1862)以後、神主村上丹波都栄(都
平〈くにひら〉)は、毛利家などから求められて、多く浪士の祭祀を行ってい
た。池田屋事件でも長州屋敷が吉田稔麿(としまろ)らの遺体を埋葬したこと
は既述した。
 霊明神社文書のなかに、元治元年(1864)5月付、村上丹波宛の永寿院文阿
弥光山の一札がある。ここで光山は、霊明舎の永世借地や「永世無年貢」を保
証している。光山が正法寺を代表する立場にあったこと、そのため霊明舎と密
接な関係があったことがわかる。加えて少し時間のたった慶応4年(1868)ご
ろの記録であるが、
 
  勤王有志之輩、追々幕ヨリ嫌疑ノ儀有リテ、皆々不残(のこらず)幕ノ手
  ニ被召捕テ禁獄セリ、或者病ヲ発シ獄ニテ死スモノアリ、或者罪セラレ甚
  々難渋スル者多分アリ、依之(これにより)テ長州出入ノ諸商人迄皆々召
  捕ラレ糾明セラル、当山儀モ長藩并(ならび)ニ有志之輩埋葬ノ儀モ有リ、
  且ハ精義ノ人々ヲ入魂ナレバ止宿ナドセシ儀モアリ、都平モ苦心シテ書類
  抔一切悉ク地ニ埋メ抔(など)種々手配シテ公儀ノ沙汰ヲ相待候得共、何
  之儀モ無之処雑式松尾氏ヨリ本防正法寺江向テ、長州ノ藩中埋葬ノ義尋聞
  有之、依之テ埋葬致シ候義悉ク言上セリ、猶(なお)又沙汰相待処神霊ノ
  守護(まもる)処歟(か)幕ノ嫌疑ヲマヌカレシ事不思議ニモ又難有事ナ
  リ、然レ共其ノ内会津藩ヨリ役人五六人計(ばか)リ正法寺ヘ向テ役僧并
  ニ山内永寿院光山ノ両人ヲ召捕ル、則チ役僧念道義獄ニテ亡命ス、光山義
  其年ノ十二月ニ獄ヲノガレテ山内江預ケラル、然レドモ此ノ両人長州ノ一
  義ニ不抱旧悪有リト云フ、其後何方ノ浪士共不分折々拙宅江乱妨(らんぼ
  う)スル事共有リ、且会藩ヨリ神道葬ノ儀ニ付テ種々及示談候儀モ有之候
  得共、請引(うけひき)不申候処猶又乱妨ノ事共有リ(霊明神社蔵「霊明
  社慶応四年初秋改記録」、現神主村上繁樹さんの配意を得た)
  
とあり、念道・光山は、村上の神道葬祭活動に連座し、「会津藩ヨリ役人五六
人計リ」がやってきて逮捕されたことがわかる。
 
 それでは村上丹波都栄(都平)も逮捕されてしかるべきだが、前記「元治元
子年六月中入牢人」などに逮捕者として列記されていない。なぜか。それは嫌
疑をうけたが、逃亡に成功したからであろう。同記録に「都平義、暫時家ヲ嫡
子歳太郎ニ預ケテ姿ヲ替テ商人ノ如クナリ、近国或者市中ニ埋伏シテ漸々年ヲ
送ル事四ヶ年余リ」とあり、元治元年下半期から慶応4年の鳥羽伏見戦争のこ
ろまで潜伏していたようである。
 
 古高逮捕や池田屋襲撃をへて、会津など幕府側の長州への敵意は頂点に達し
ようとしていた。先手を打たねば、こちらがやられるという危機意識をもった
といえる (「長州ハ必死之奴原ニ付如何様暴発致間敷儀ニ無之、予防之備無之
負を取候様之儀有之候」元治元年6月7日付、江戸・会津御用所宛、京都御用
所書翰『会津藩庁記録』4、694ページ)。
 
 6月10日の洛東産寧坂の明保野(あけぼの)亭事件は、池田屋事件後の混乱
のさなかに起きている。明保野亭は毛利家がよく使用した料亭である。これを
新選組や会津が、「古高余党」逮捕のため襲撃した。通説では、このとき滞在
中の武士一人を見とがめた。が、その者は素性を明かすことなく突然逃亡しよ
うとした。それゆえ、会津家臣柴司が浮浪と判断し、後ろから鑓で突いた。と
ころが実は浪士ではなく、土佐山内家臣麻田時太郎という者であった。
 
 麻田が不審な態度をとったので柴はやむなく刺したと理解されることが多い
が、実はこれは会津松平家側の史料を根拠としたものにすぎない。『山内家史
料 幕末維新第三編下』(461ページ)には、麻田時太郎の供述がふくまれて
いる。これによれば、麻田は実名と所属を名乗っている。それにもかかわらず、
会津側が躊躇せず麻田を刺したという。
 
 客観的にみて、麻田の供述に妥当性があるように思える。正規の大名家家臣
が、捕り手に対して、特に理由なく逃げるとは思いにくい。会津側が自身を正
当化するために記した文書を、のちの研究者が一方的に信じすぎた可能性が高
い。すなわち明保野亭事件も、「古高余党」の追捕という建前とは別に、畿内
の浪士を可能な限り殲滅(せんめつ)するという姿勢がみてとれる。
 
 最後に前述「元治元子年六月中入牢人」に逮捕者として列記された「宮津屋
三郎右衛門」にも言及しておく。「但州豊岡町下モ町」とあるので、おそらく
但馬豊岡出身の浪士今井三郎右衛門(宮津三郎兵衛)のことと思われる。従前、
今井も池田屋集会参加者にふくまれることが少なくない(『贈位諸賢伝』上巻、82
ページ、冨成博『池田屋事変始末記』、新人物往来社、2010年、299ページな
ど)。が、これを実証する史料は皆無である。
 
 以上のことから、ここに名のあがった人物はほとんど池田屋集会とは無縁で
あったと思われる。つまり新選組から古高を奪還しようとしていたとの解釈は
問題である。ましてや「御所向放火」のメンバーであったなどとはまったく述
べることはできない。
 ただそれはそれとして、池田屋襲撃からはじまるこの逮捕劇が、長州を刺激
し率兵上京を勢いづかせたことは重要である。(つづく)
 
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│中村武生:歴史地理史学者。1967年生まれ、大阪府出身。佛教大学大学院 
│文学研究科博士課程前期(日本史学)修了。京都女子大学、天理大学の非
│常勤講師や、京都新聞文化センター、京都おこしやす大学、NHK文化セ 
│ンター、よみうり文化センター、中日文化センターなどの講師をつとめ  
│る。NPO法人京都歴史地理同考会理事長。著書に『御土居堀ものがた  
│り』、『中村武生の京都検定日めくりドリル500問』(以上、京都新聞出 
│版センター)、『京都の江戸時代をあるく――秀吉の城から龍馬の寺田屋 
│伝説まで』(文理閣)。                             
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次回は5月18日、配信予定です。 
ご意見、ご感想などはingen@kodansha.co.jpまでお願いいたします。 


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